はじめまして。
美容ジャーナリストの桐生早苗と申します。
もともとは美容業界誌の編集部にいた人間で、かれこれ25年以上、エステサロンや化粧品メーカーの現場を取材してきました。
駆け出しの頃、取材先で出会ったベテランのエステティシャンから「あなた、昭和のエステを知らないでこの業界を書くの」と言われたことがあります。
悔しかったので、それから昭和の業界資料を集め、創業期を知る方々への取材を重ねてきました。
この記事では、その蓄積をもとに「エステブームはどうやって生まれ、どこへ向かっているのか」を40年以上のスパンで振り返ります。
業界で働く方にも、エステの歴史をちょっと知りたいだけの方にも、読み物として楽しんでいただける内容にしたつもりです。
どうぞお付き合いください。
「エステ」という言葉が通じなかった時代|1970年代の黎明期
いまでこそ「エステ」は誰にでも通じる言葉ですが、1970年代の日本ではそうではありませんでした。
雑誌や新聞にこの言葉が載っても、読者の大半がピンとこない。
そんな時代だったと、創業期を知る方々は口をそろえます。
当時の日本の美容といえば、化粧品と美容室が中心でした。
「手技と機器で肌や身体そのものをケアする」という発想は、まだ輸入されたばかりの新しい概念だったのです。
とはいえ、需要の芽はすでにありました。
東京には「美顔術」を看板に掲げるサロンが存在し、女優や歌舞伎役者が通う人気店では早朝から整理券が出るほどだったといいます。
つまり「顔や身体を専門家の手で美しくしたい」という欲求そのものは、昭和の初めから連綿と続いていたのです。
そこに本場仕込みの技術と理論が接続されたとき、日本のエステ業界が動き出しました。
海の向こうから持ち帰られた「エステティック」
日本のエステの源流をたどると、フランスに行き着きます。
エステティックの本場で技術を学び、日本に持ち帰った人たちが、この業界の礎を築きました。
その代表格の一人が、たかの友梨ビューティクリニック創業者の高野友梨さんです。
1972年に単身フランスへ渡り、約8ヶ月間エステティックの修行を積んで帰国されています。
帰国後の1973年には美顔器を自ら開発して販売を始めており、サロン開業の前にまず「道具」から入ったという点が面白いところです。
技術だけでなく機器も揃えなければ、本場のエステは再現できない。
そう考えたのだと思います。
1972年、業界団体も産声を上げた
個人の挑戦と並行して、業界の組織づくりも始まっていました。
一般社団法人日本エステティック協会が設立されたのは1972年のことです。
つまり1972年という年は、のちにパイオニアとなる人がフランスに渡った年であり、業界団体が生まれた年でもあります。
日本のエステ業界の「元年」を挙げるなら、この年だと私は考えています。
協会の歩みや資格制度については、日本エステティック協会の公式サイトに詳しくまとまっています。
業界の信頼性がどう積み上げられてきたかを知る手がかりになるはずです。
16坪の雑居ビルから始まった伝説のサロン
1978年9月、東京・新大久保の雑居ビルの一室、わずか16坪のスペースで「たかの友梨ビューティクリニック」の1号店がオープンしました。
同じ年にはエステティシャンの養成学校も開設されています。
サロンと学校を同時に立ち上げるという判断は、いま振り返ってもかなり先進的でした。
技術者を育てる仕組みがなければ、エステは一過性の流行で終わっていたかもしれません。
なお高野さんはサロン経営のかたわら、児童養護施設への支援活動を長年続けてきた人物としても知られています。
創業からの詳しい歩みは、たかの友梨さんの経歴や子供たちへの支援活動をまとめたページで確認できます。
バブルとともに花開いた昭和末期のエステブーム
1980年代に入ると、エステは一気に「ブーム」と呼べる規模に成長します。
背景にあったのは、いうまでもなく好景気です。
女性の社会進出が進み、自分の稼ぎを自分の美容に使う人が増えました。
「自分への投資」という言葉が、ちょうど市民権を得はじめた頃です。
「痩身」「脱毛」が生んだ新市場
この時期のエステを特徴づけたのが、フェイシャルにとどまらないメニューの多様化です。
- 痩身(ボディケア・ダイエットコース)
- 脱毛
- ブライダルエステ
- メンズ向けメニューの萌芽
とくに痩身と脱毛は、化粧品では解決できない悩みに応えるメニューとして支持を集めました。
「サロンに通えば身体そのものが変わる」という体験は、当時の女性にとって衝撃的だったのです。
ブライダルエステの定着も、この時期の大きなトピックでした。
「人生で一番きれいな姿で式を挙げたい」という願いは時代を問わず普遍的で、結婚を控えた女性が初めてエステに触れる入口として機能しました。
一度サロンの心地よさを知った人は、式が終わっても通い続ける。
ブライダルは新規顧客を業界に呼び込む、最強の導線だったわけです。
広告とメディアがブームを加速させた
昭和末期から平成初期にかけて、エステサロンの広告は女性誌や深夜テレビの定番になっていきます。
有名人を起用したCMが流れ、サロンの店舗は駅前の一等地へ。
私が業界誌に入った1990年代半ばは、まさにその余熱が残っていた時期でした。
編集部には毎週のように新店オープンのリリースが届き、ページが足りないほどだったのを覚えています。
いま思えば、あのブームは広告だけで作られたものではありません。
「エステに通っている」と友人に話すこと自体が、ちょっとしたステータスだった。
利用者の口コミと憧れが、広告と同じくらいブームを押し上げていたのだと思います。
平成のエステ業界|拡大の光と影
ブームはやがて、業界の構造を大きく変えていきます。
平成のエステ業界は「拡大」と「淘汰」が同時に進んだ時代でした。
大手チェーン時代の到来と価格競争
1990年代以降、体力のあるサロンは多店舗展開を加速させ、全国チェーンが出そろいます。
一方で、バブル崩壊後の消費マインドの冷え込みは、業界に価格競争を持ち込みました。
低価格の体験コースで集客し、本コースの契約につなげるビジネスモデルが定着したのもこの頃です。
集客手法としては合理的でしたが、のちに消費者トラブルの温床にもなっていきます。
もうひとつ、この時代に進んだのが「就職先としてのエステ業界」の確立です。
チェーン各社が新卒採用と社内研修制度を整え、エステティシャンは専門職としてのキャリアパスを持つ仕事になっていきました。
1970年代に養成学校から始まった人材育成の流れが、企業の研修制度という形で業界全体に広がった。
そう捉えると、平成の拡大期は昭和にまかれた種が育った時代だともいえます。
消費者トラブルと法規制の整備
2000年代に入ると、高額契約や中途解約をめぐるトラブルが社会問題として注目されるようになりました。
現在、エステティックサービスは特定商取引法の「特定継続的役務提供」に位置づけられており、一定の条件を満たす契約にはクーリング・オフなどの消費者保護が適用されます。
制度の詳細は消費者庁の特定商取引法ガイドで確認できます。
また、国民生活センターもエステ関連の相談事例と注意点を公開しています。
規制の強化は、業界にとって痛みを伴う変化でした。
ただ、長い目で見ればサービスの透明化が進み、まじめに営業するサロンが評価される土壌ができたと私は受け止めています。
データで見る令和のエステ業界
では、ブームから40年あまりを経た現在のエステ業界はどうなっているのでしょうか。
矢野経済研究所の調査データをもとに、市場の現在地を確認してみます。
縮小する市場と構造変化
矢野経済研究所の調査によると、2024年度の国内エステティックサロン市場規模は3,043億円(前年度比98.3%)で、5年連続の縮小となりました。
| 分野 | 2024年度の市場規模 |
|---|---|
| レディス施術 | 1,918億円 |
| メンズエステ | 155億円 |
| 物販ほか | 970億円 |
| 合計 | 3,043億円 |
縮小の背景には、脱毛サロン大手の経営破綻や、美容医療クリニックへの顧客シフトがあります。
詳しい数字は矢野経済研究所のプレスリリースで公開されています。
美容医療との競合は、業界にとって過去にない種類の試練です。
かつてのライバルは同業のサロンでしたが、いまは医療機関がその座にいます。
一方で、機器や薬剤に頼らない「手技の価値」を再評価する動きも取材先で耳にするようになりました。
リラクゼーションやカウンセリングを含めた総合的な体験は、医療には代替しにくいエステならではの領域です。
メンズエステという新しい芽
暗い数字ばかりではありません。
メンズエステは前年度比でプラスを維持しており、数少ない成長分野です。
昭和のエステブームが「女性の自分への投資」から始まったことを思うと、令和のブームの主役が男性になるかもしれない、というのは歴史の面白さを感じる変化です。
身だしなみへの意識が性別を問わないものになった現代らしい動きだと思います。
業界みずからの健全化への取り組み
もうひとつ、令和の業界を語るうえで欠かせないのが、自主的な健全化の動きです。
複数の業界団体が連携し、サービスや契約に関する自主基準づくり、消費者相談への対応が進められています。
たとえば日本エステティック振興協議会は、業界の統一自主基準の策定や消費者向けの情報提供を行っている団体です。
規制に「対応させられる」のではなく、業界の側から信頼を積み上げていく。
40年の歴史で何度もトラブルと向き合ってきたからこその、成熟した動きだと感じます。
40年史を振り返って見えてくるもの
昭和から令和までのエステ業界史をたどってきて、私が感じるのは次の3点です。
- ブームは「言葉の輸入」ではなく「技術と人材育成の輸入」から生まれた
- 拡大期の無理な商法は、必ずあとで規制と淘汰を招く
- 市場が縮んでも、時代の変化に合わせた新しい需要は生まれ続ける
とくに1点目は強調しておきたいところです。
1970年代のパイオニアたちがサロンと同時に養成学校をつくり、業界団体を立ち上げたからこそ、エステは一過性の流行で終わらず、産業として根を張ることができました。
華やかなブームの裏側には、地道な仕組みづくりがあった。
40年の歴史が教えてくれるのは、案外そういう地味な真実なのです。
まとめ
日本のエステ業界は、1972年前後の「輸入」から始まり、1978年前後のサロン創業ラッシュ、1980年代のブーム、平成の拡大と規制、そして令和の構造転換へと歩んできました。
市場は縮小局面にありますが、メンズ市場のような新しい芽も育っています。
半世紀かけて積み上げられた技術と人材育成の土台は、これからも形を変えて生き続けるはずです。
エステサロンを利用する側の方は、歴史のなかで整備されてきた消費者保護の制度も、ぜひ知識として持っておいてください。
業界の歩みを知ることは、賢くサービスを選ぶことにもつながります。
長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。



