観光パンフレットを広げれば、きれいに切り取られた新潟の写真が並んでいる。
だが本当の新潟は、そうした写真の枠からはみ出したところにこそ息づいている。
新潟に住んで30年以上、この土地を歩き続けてきた私が出会ったのは、地元の人々の何気ない日常に宿る豊かな風景だった。
彼らが教えてくれた素顔の新潟は、どの観光案内にも載らない宝物だ。
その声に耳を澄ませ、足を使って巡ってきた道のりを、今日は皆さんにお伝えしたい。
新潟を歩く、その前に:土地と人を知る
四季が語る新潟の顔
新潟の一年は、雪とともに始まり雪とともに終わる。
11月頃の初雪から始まる半年近い積雪期は、この土地の人々の生活そのものを形作ってきた。
春になって雪が消えると、まるで世界が生まれ変わったかのように花々が一斉に咲き誇る。
「梅も桜もみな開く」と十日町小唄にも歌われるほど、その変貌ぶりは劇的だ。
夏は稲穂が風に揺れる緑の絨毯が広がり、秋には黄金色に染まった田んぼが収穫の季節を告げる。
そして再び雪の季節がやってくる。
このリズムの中で、新潟の人々は暮らしを営んでいる。
地元の人の「日常」が旅の入り口
新潟を歩くとき、私がいつも心がけているのは地元の人の目線に立つことだ。
朝早く家を出て畑に向かうお年寄り、学校帰りの子どもたち、商店で立ち話をする主婦の方々。
彼らの日常に寄り添うように歩くと、観光地とは違った新潟の表情が見えてくる。
道端で出会った農家のおじいちゃんが、「このあたりで一番うまい餅は○○屋で買える」と教えてくれた。
魚屋のおばあちゃんは、「今朝とれたばかりの魚だよ」と自慢の一品を見せてくれた。
そんな何気ない会話の中に、新潟の本当の豊かさが隠れている。
新潟弁に耳を澄ませて
「なじらね?」(調子はどう?)
「しかもか寒いね」(とても寒いね)
「あったけえ日だねや」(暖かい日だね)
新潟弁は、この土地の風土そのものを映す鏡のような言葉だ。
佐渡では「だっちゃ」という語尾が親しみを込めて使われ、本土側とは少し違った響きがある。
地元の人々の会話に耳を傾けていると、標準語では表現しきれない微妙な感情の機微が伝わってくる。
「ばか」は「とても」という意味で使われ、「こればかうまいね」(これとてもおいしいね)といった具合に、温かみのある表現が日常にあふれている。
地元の人がすすめる”歩き旅”スポット5選
雪の記憶をたどる:十日町・雪国の小径
十日町は、まさに「究極の雪国」と呼ぶにふさわしい場所だ。
令和2年に日本遺産に認定されたこの地域では、縄文時代から続く豪雪との共生の歴史を肌で感じることができる。
地元のガイドをお願いした田中さん(仮名)が案内してくれたのは、観光マップにも載らない細い雪道だった。
「ここはね、昔から子どもたちが雪遊びをする場所なんです」
足元に広がる雪の上には、まだ新しい足跡がいくつも残っている。
雪質の違いを教えてくれた田中さんの言葉が印象的だった。
「十日町の雪は水分が多くて、ぎゅっと握ると簡単に固まるんです。だから雪だるまを作るのも楽なんですよ」
歩いていると、雪を踏む音が「ギュッギュッ」から「サクッサクッ」に変わっていく。
雪質によって音が変わることなど、雪の少ない地域に住む人には想像もつかないだろう。
潮の香りと歴史が交差する:寺泊の朝市通り
寺泊の魚の市場通りは、地元では「魚のアメ横」と呼ばれ親しまれている。
朝8時30分頃から始まる市場の活気は、見ているだけで元気をもらえる。
11軒の鮮魚店や土産物店が軒を連ね、寺泊港や出雲崎港で水揚げされた新鮮な魚介類が並ぶ。
山六水産の店主に話を聞くと、「朝一番の魚を見に来るお客さんが多いんです」と教えてくれた。
名物の浜焼きは、イカやホタテを炭火で焼いた香ばしい匂いが通り全体に漂っている。
「番屋汁」という味噌ベースのスープには、その日水揚げされた魚のアラとズワイガニが入っていて、100円から200円という良心的な価格で味わえる。
「これはもともと漁師さんたちが泊まる小屋で暖を取りながら食べていたんです」
そんな歴史を聞きながら飲む番屋汁は、格別の味だった。
路地の先にある歓待:新潟市・古町界隈
古町の花街を歩くときは、表通りではなく細い路地に足を向けてみてほしい。
200年の歴史を持つこの花街では、今でも古町芸妓の方々が活躍している。
偶然出会った柳都振興の関係者の方が、「古町の本当の魅力は、路地裏にこそあるんです」と教えてくれた。
日本舞踊の流派・市山流は新潟市無形文化財の第1号で、地方の宗家で120年以上の歴史を刻んできた全国でも唯一の流派だという。
運が良いと、料亭に向かう芸妓さんの姿を見かけることもある。
あでやかな着物姿で歩く後ろ姿は、まさに古町の風情を象徴する光景だ。
古町柳都カフェでは、予約なしでも気軽に芸妓さんとお話しできる機会がある。
「お客様に喜んでもらえるのが一番うれしいです」
そう語る芸妓さんの笑顔に、新潟弁の温かさが込められていた。
花と短歌の里:五泉市・早出川沿い
五泉市は「花のまち」として知られ、季節ごとに異なる花々が楽しめる。
春には150万本のチューリップが咲きそろい、一面が花の絨毯となる。
5月上旬から中旬にかけては、東公園のぼたん百種展示園で120品種5,000株の大輪の花が咲き誇る。
早出川沿いを歩いていると、地元の短歌愛好家の方とお話しする機会があった。
「この川のほとりで詠んだ歌は、どこか優しい響きになるんです」
新潟は古くから和歌や短歌の文化が根づいている土地で、現在でも多くの歌人が活動している。
花を愛でながら歌を詠む。
そんな文化的な豊かさも、新潟の隠れた魅力の一つだろう。
無名だけれど心に残る:長岡・川東の田んぼ道
長岡市の川東地区は、観光ガイドブックにはほとんど載らない場所だ。
しかし信濃川と魚野川に挟まれたこの地域には、新潟らしい田園風景が静かに広がっている。
農道を歩いていると、田んぼ仕事をしていた地元の農家の方が声をかけてくれた。
「この辺りは昔から米作りが盛んで、良い土と水に恵まれているんです」
遠くに見える山々、どこまでも続く田んぼ、そして青い空。
派手さはないが、心に深く刻まれる風景がそこにはあった。
「観光地もいいけれど、こういう何でもない風景が一番ほっとするんです」
そう語る農家の方の言葉に、新潟の人々の暮らしに対する思いが込められていた。
地元の声を道しるべに:出会いと会話
旅の宝物は、人との立ち話
新潟を歩いていて一番心に残るのは、実は景色よりも人との出会いだ。
バス停で雨宿りをしているときに、隣に座ったおばあちゃんが昔の新潟の話をしてくれた。
「昔はもっと雪が多くて、2階から出入りすることもあったんです」
商店街で道に迷っていると、通りがかりの主婦の方が丁寧に教えてくれた。
「そこを曲がって、あの看板が見えたら右に行けばすぐです。気をつけて歩いてくださいね」
新潟の人々の優しさは、言葉の端々にも表れている。
「だいじょぶかい?」(大丈夫ですか?)
「気をつけて歩けよ」(気をつけて歩いてください)
そんな温かい言葉に包まれながら歩く新潟は、どこか懐かしい故郷のような安心感がある。
八百屋のご主人が語る季節の台所
古町の八百屋で出会ったご主人は、新潟の四季を野菜で表現してくれた。
「春は山菜、夏は枝豆とトマト、秋はきのこと根菜、冬は保存がきく野菜ですね」
新潟の豪雪地帯で採れる山菜は、雪による保温と紫外線の遮断によって、太くて柔らかく味の良いものが育つという。
「特にぜんまいは他の地域のものと比べて全然違いますよ」
店先に並ぶ野菜を見ながら、ご主人が教えてくれる調理法は、まさに新潟の知恵の結晶だった。
「ツケナ(野沢菜漬)は春先に発酵が進んで酸味が増したら、塩抜きして煮込んでニーナ(煮菜)にするんです」
そんな保存食の知恵は、厳しい冬を乗り切るために先人たちが育んできた生活の技術なのだ。
小学校の校庭で聞いた雪遊びの記憶
通りがかった小学校で、放課後に雪遊びをしている子どもたちと話す機会があった。
「雪だるま作るのが一番好き!」
「かまくら作ってお餅を焼いて食べるんだ」
十日町雪まつりでは、「雪を友とし、雪を楽しむ」という地元住民の発想から始まった伝統が70年以上続いている。
子どもたちの屈託のない笑顔を見ていると、雪と共に生きることの豊かさを改めて感じる。
「雪が降ると嬉しいの?」と聞くと、「うん!学校が休みになるかもしれないし、雪遊びできるから」という答えが返ってきた。
雪を厄介者として捉えるのではなく、自然の一部として受け入れ、楽しむ。
そんな姿勢が、新潟の人々の心の豊かさを物語っている。
歩くことで見える、風土と暮らしのリズム
「豪雪」とともに生きる知恵
新潟の豪雪地帯では、雪は決して障害物ではない。
それは生活の一部であり、時には恵みでもある。
「雪室(ゆきむろ)」は、電気冷蔵庫が普及するまで使われていた天然の冷蔵庫だった。
冬の間に降り積もった雪で山を作り、藁などで囲って食材を保管する。
雪室の中は太陽の光を通さず、気温0℃で湿度も高く保たれるため、野菜などの鮮度を長期間保つことができた。
また、「結(ゆい)」の精神と呼ばれる相互扶助の文化も、豪雪地帯ならではのものだ。
雪下ろしや雪崩、急病人の搬送など、冬場は雪によって生命に関わる事態が起こるため、集落の絆は一層強固になった。
1961年の三六豪雪の際、栃窪峠で遭難しそうになった数十人を、二ッ屋集落の人たちが集落ぐるみで救助した話は今も語り継がれている。
一人の死者も出さなかったその救助劇は、雪国の人々の団結力を象徴するエピソードだ。
田んぼと祭りの時間感覚
新潟の田園地帯を歩いていると、都市部とは全く違う時間の流れを感じる。
春の田植えから秋の収穫まで、米作りのリズムが地域全体の生活リズムを決めている。
「はさ木」と呼ばれる稲を干すための木組みが田んぼに立つ風景は、新潟ならではの秋の風物詩だ。
地元の農家の方が教えてくれたのは、このはさ木が雪景色と星空を美しく演出する冬の絶景だった。
「雪が積もったはさ木に星の光が反射して、とてもきれいなんです」
また、十日町雪まつりや長岡まつり大花火大会など、季節の祭りが地域の人々の心のよりどころになっている。
これらの祭りは単なるイベントではなく、厳しい自然と向き合って生きる人々にとって、心の支えとなる大切な文化的装置なのだ。
歩くことで感じる「間(ま)」の美学
新潟を歩いていると、「間」の美しさを感じることが多い。
それは物理的な距離だけでなく、時間的な間合いでもある。
たとえば古町の花街では、芸妓さんが料亭に向かう足音が遠ざかっていく静寂の中に、独特の風情がある。
寺泊の朝市では、威勢の良い掛け声と掛け声の間に挟まれる、ほんの一瞬の静けさが印象的だ。
十日町の雪景色では、雪に音が吸収されて生まれる深い静寂の中に、かすかに聞こえる生活音が心に響く。
そんな「間」を味わうためには、急がずゆっくりと歩くことが大切だ。
新潟弁で言う「じょんのび」(ゆったり)とした気持ちで歩けば、きっと新潟の本当の魅力に出会えるはずだ。
まとめ
素顔の新潟を歩くということ
30年以上新潟を歩き続けてきて思うのは、この土地の本当の魅力は「素顔」にこそあるということだ。
観光パンフレットに載る華やかな写真も素晴らしいが、日常の中にある何気ない風景や人々の暮らしぶりに触れることで、新潟の真の豊かさを感じることができる。
雪と共に生きる知恵、四季の移ろいを大切にする心、人と人とのつながりを重んじる文化。
そうした目に見えない財産こそが、新潟という土地の最も貴重な宝物なのかもしれない。
記憶に残るのは風景より”気配”
振り返ってみると、新潟で出会った風景よりも、そこに漂っていた「気配」の方が鮮明に心に残っている。
寺泊の朝市に漂う潮の香りと人々の熱気。
古町の路地に残る花街の粋な雰囲気。
十日町の雪道に響く子どもたちの笑い声。
五泉の花畑を渡る春風の優しさ。
長岡の田んぼ道に広がる静寂の深さ。
風景は写真に撮ることができるが、気配は心でしか感じることができない。
だからこそ、実際に足を運んで歩くことの意味があるのだ。
旅人へのメッセージ:聞く耳と歩く足を持って
これから新潟を歩こうとする方々に、一つだけお伝えしたいことがある。
それは、「聞く耳と歩く足」を持って新潟を訪れてほしいということだ。
地元の人々の声に耳を傾け、自分の足で道を歩く。
そうすれば、どんなガイドブックにも載っていない新潟の素顔に出会えるはずだ。
もちろん、ここで紹介した素朴な歩き旅とは異なる視点として、新潟のハイエンド体験・観光スポットで紹介されているような、贅沢で特別な体験も新潟の魅力の一つだ。
妙高高原でのゴルフや佐渡島でのサイクリングなど、アクティブで上質な時間を過ごすことで、また違った新潟の表情を発見できるだろう。
新潟弁で「なじらっしゃった?」(いかがでしたか?)と声をかけられたとき、心からの満足を込めて「ばかよかった」(とても良かった)と答えられるような旅になることを願っている。
雪深い冬も、花咲く春も、実り豊かな秋も、新潟はいつでも旅人を温かく迎えてくれる。
そんな新潟の懐の深さを、ぜひ多くの方に感じていただきたい。